
『フロントミッション』というゲームがある。
1995年に発売された作品で、巨大な人型兵器「ヴァンツァー」が戦場を駆け回るSF作品なのだが、このゲームには今でも記憶に残る、とんでもなく悲惨な展開がある。
主人公ロイドの恋人カレンが敵に捕らえられ、最終的にはその脳が兵器の制御装置「B型デバイス」として利用されてしまうのだ。
いわゆる「カレンデバイス」である。
当時プレイした人間に強烈なトラウマを植え付けた設定なのだが、最近AIについて考えていて、ふと思った。
……人間の脳なんて使う必要ある?
もちろんゲームの設定に現代の技術を持ち込んでツッコむのは野暮である。
しかし、この疑問から考えてみると、1995年と現在では「コンピューターに仕事をさせる」という考え方そのものが大きく変わっていることに気づく。
昔のコンピューターには「やり方」を教える必要があった
たとえばロボットに、
「机の上の卵をつかんで」
と命令するとする。
従来型のコンピューター制御では、これだけでは動いてくれない。
卵がどこにあるのか。
ロボットアームをどの角度まで動かすのか。
どのくらいの速度で近づくのか。
指をどこまで閉じるのか。
どれ以上の力を加えると卵が割れるのか。
人間が目的を細かな処理へ分解し、それをコンピューターが理解できる形に落とし込まなければならなかった。
つまり、
「何をするか」だけでなく、「どうやってするか」まで人間が教える。
これが従来のプログラムの基本的な考え方だった。
ところが人間はそんなことをしていない。
目の前に卵があれば、
「卵までの距離は38.2cm。腕を右方向へ12.7度……」
なんて計算しない。
手を伸ばして、
ひょい。
である。
なぜそんなことができるのか。
これまで生きてきた中で、物を見て、触って、落として、つかんで、失敗してきた膨大な「経験」があるからだ。
だったら「経験済みの脳」を使えばいい
ここでカレンデバイスを考えてみる。
1995年のSFとして考えるなら、なかなか合理的な発想なのである。
人間と同じような判断能力を持つコンピューターを一から作るのが難しい。
しかし、
すでに何十年も学習したコンピューターが目の前にある。
人間の脳だ。
特に優秀な兵士なら、
敵の動きを見る。
危険を察知する。
次の行動を予測する。
反射的に回避する。
過去の経験から最適な行動を選ぶ。
そんな能力を何年、何十年とかけて獲得している。
だったら、その脳を兵器につないでしまえばいい。
恐ろしく非人道的ではあるが、
「人間の脳が高性能なCPUだから使う」のではない。
「すでに学習を終えているから使う」。
そう考えると、カレンデバイスという設定はずいぶん違って見えてくる。
ところが30年後、AIが登場した
そして2026年。
ここで話が変わってくる。
機械学習によって、コンピューター自身が大量のデータや試行錯誤からパターンを学習できるようになった。
つまり、
「経験を利用するために、経験した本人を持ってくる必要がなくなり始めた」
のである。
卵をつかませたいなら、人間が卵の座標や握力をひとつひとつプログラムするのではなく、センサーから得た情報と大量の学習データ、試行錯誤から「卵をつかむ」という能力そのものを獲得させる。
そうなるとカレンデバイスの思想は逆転する。
1995年。
経験が欲しい
↓
経験は人間の脳にある
↓
脳を使おう。
2026年。
経験が欲しい
↓
経験をデータとして蓄積する
↓
AIに学習させる
↓
学習したモデルをコンピューターで動かす。
ここで起きた変化は、単にコンピューターが速くなったという話ではない。
「経験」と「経験した人間」を切り離せるようになってきた。
これはとんでもなく大きな変化なのではないだろうか。
人間はずっと「経験を失ってきた」
考えてみれば、人類はこれまで途方もない量の経験を失ってきた。
50年間寿司を握った職人が亡くなる。
40年間カメラを回したカメラマンが引退する。
何十年も機械を触ってきた技術者が現場を去る。
もちろん弟子を取ったり、文章を書いたり、映像を残したりすることで知識は継承できる。
しかし、
「この音がしたら何かおかしい」
「この光なら少し露出を落とした方がいい」
「この人の動きなら次はこっちへ来る」
といった、本人すら言葉にできない経験は大量に失われてきた。
いわゆる「勘」である。
ところがAIは、この領域に入り始めている。
大量の事例を観察し、
「なぜそうするのか本人にも説明できないけれど、熟練者はこうする」
というパターンまで学習できる可能性がある。
これはカレンデバイスとは正反対だ。
カレンデバイスは、
経験を残すために、人間を部品にした。
AIは、
人間を残したまま、経験だけを取り出そうとしている。
もし「経験」が世代を超えて蓄積されたら
ここから先を考えると、ちょっとワクワクする。
現在の私たちは、人生の最初からかなりの時間を「先人がすでに知っていたこと」を覚えるために使っている。
学校へ行き、仕事を覚え、失敗し、先輩に怒られ、少しずつ経験を積む。
そしてようやく一人前になった頃には人生のかなりの時間が過ぎている。
しかし未来、人間の経験やノウハウがAIによって高度に蓄積されるようになったらどうなるだろう。
100年前の職人。
50年前の研究者。
10年前の技術者。
昨日まで働いていたベテラン。
その人たちが積み上げた経験を、次の世代が最初から利用できる。
すると人間は、
先人が到達した地点から人生を始められる。
これはものすごいことである。
「知識」ではなく「経験」を相続する時代
本は昔からあった。
だから知識は何千年も前から世代を超えて受け継ぐことができた。
しかし経験は難しかった。
本を読めば「こう撮影するといい」と知ることはできても、30年間カメラを回してきた人間の感覚そのものを受け取ることはできない。
だから人類は、
知識は相続できても、経験の多くは毎世代作り直してきた。
AIによって変わるのは、もしかするとここなのかもしれない。
人類史上初めて、
経験そのものを社会の共有財産として蓄積できる時代。
そんな時代が来る可能性がある。
では、未来の人間は何をするのだろう
ここで少し不思議なことになる。
もし先人の知識も経験もAIから受け取れるなら、未来の人間は何のために経験するのだろう。
失敗する必要も減る。
遠回りする必要も減る。
「それ、昔の人が500万人くらいやって失敗してますよ」
とAIが教えてくれるかもしれない。
効率だけを考えれば素晴らしい世界だ。
しかし、人間の人生は効率だけでできているわけではない。
自分で失敗したから分かったこと。
遠回りしたから見つけたもの。
誰かに教えてもらった答えでは納得できず、自分で確かめて初めて腑に落ちたこと。
そういうものまでなくなるわけではないだろう。
むしろ先人の経験を受け取れるようになれば、人間はさらにその先へ行ける。
「答えを覚える人生」から、「まだ答えのないところへ行く人生」へ。
そんな変化が起きるのかもしれない。
カレンデバイスが必要なくなった未来
30年前のSFでは、人間の経験を機械に利用するために、人間の脳そのものを機械へ組み込んだ。
それはあまりにも残酷な未来だった。
しかし現実は少し違う道を進んだ。
人間そのものではなく、
人間が生きた結果として残った「経験」を機械へ渡そうとしている。
もしそれが本当に可能になったなら、
亡くなった人の人生も、
引退した職人の技術も、
誰かが何十年とかけて身につけた感覚も、
すべてが次の世代のスタート地点になる。
人間はこれまで、世代が変わるたびに多くの経験を失ってきた。
これからは、
経験が積み上がっていく文明になるのかもしれない。
カレンデバイスを見て、
「いや、今なら普通にAIでよくない?」
と思っただけだった。
しかし考えてみれば、その違和感そのものが、この30年間にコンピューターがどれほど変わったのかを表していた。
そして、その先にある未来では、
私たちは先人の人生を繰り返すのではなく、先人の人生の続きを生きることになるのかもしれない。
カレンデバイスが描いた未来よりも、ずっと穏やかで。
そして、ずっと不思議な未来である。
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