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ポジティブに生きるとは、悲しみを背負ったまま歩く強さなのかもしれない――ポリアンナは、泥の中から真珠を探す【お役立ちコラム】

約7分

「ポリアンナ」という名前には、どこか能天気なイメージがある。

どんなに嫌なことがあっても、
「でも、よかったじゃない!」
と笑ってしまう。

悪いことには目を向けず、何でも前向きに考える。
いわゆる「ポリアンナ的」という言葉にも、そんな少し皮肉な意味が込められることがある。

私も長いこと、そんなイメージを持っていた。
しかし、「よかった探し」について考えているうちに、どうも違うのではないかと思い始めた。

ポリアンナがやっていることは、現実から目をそらすことではない。
むしろその逆なのかもしれない。


泥を「泥じゃない」と言うことではない

たとえば、とても辛い出来事があったとする。

単純なポジティブ思考なら、
「いい経験になったよ」
「きっと意味があるよ」
「前を向こう」
と言いたくなる。

もちろん、それで救われることもあるだろう。
けれど、ときとしてそんな言葉は、とても無責任でもある。

世の中には、どう考え直しても「起きてよかった」とは思えない出来事がある。

大切なものを失った。

大切な人と別れた。

取り返しのつかない失敗をした。

そんな出来事まで無理やり、
「これも人生に必要な経験だったんだ」
と考える必要があるのだろうか。

私は、そうは思わない。

泥を「これは泥じゃなくて土です!」と言い換えるゲームではないのだ。

泥は泥でいい。
嫌だったことは、嫌だった。
悲しかったことは、悲しかった。
起きないほうがよかったことは、起きないほうがよかった。

それを認めたうえで、
それでも、この泥の中に何か一粒、真珠は落ちていないだろうか。

そうやって手を突っ込んで探す。
それが「ポリアンナの真珠」なのではないかと思う。


リフレーミングと「真珠を探す」は少し違う

心理学には「リフレーミング」という考え方がある。

たとえば、
「頑固な人」を「意志の強い人」と見る。
「心配性」を「慎重な人」と見る。
同じ性質でも、見る枠組みを変えることで意味が変わる。
これはとても有効な考え方だ。

しかし、ポリアンナの「よかった探し」は少し違う。
リフレーミングが、
「この出来事を別の見方で見られないだろうか?」
だとすれば、
ポリアンナは、
「この出来事の中に、本当に何か良かったものはなかっただろうか?」
と探す。

言い換えるなら、
リフレーミングは、額縁を掛け替えて景色を見る。
ポリアンナは、同じ景色の中から真珠を探す。
だから、案外ポリアンナのほうが厳しい。
額縁を替えてもらえないからだ。

悲しい景色は、悲しい景色のまま。

その中を歩いて、自分で探さなければならない。


真珠を拾っても、泥は消えない

そして、ここが大切なのだと思う。

泥の中から真珠を一粒見つけたところで、
泥がなくなるわけではない。
辛い経験のあとで、大切な人と出会えた。

だからといって、
「じゃあ、あの辛い経験があってよかったね」
とは限らない。

そんな単純な話ではない。
「あんなことは起きないほうがよかった」
という気持ちと、
「でも、あのあとこの人と出会えたことは嬉しい」
という気持ちは、

同時に存在していい。

ここに、単純な楽観主義とはまったく違う人間の強さがある。


悲しみは、下ろせないこともある

私たちはよく、
「悲しみを乗り越える」
という言葉を使う。

もちろん、本当に乗り越えられる悲しみもあるだろう。

しかし人生には、どうしたって下ろせない悲しみもあるのではないか。
大切な人を亡くした悲しみ。
取り返すことのできない後悔。
人生が終わるまで完全には消えないものだってある。

それを、
「いつまでも悲しんでいてはいけない」
「そろそろ前を向かなければ」
と言われても、どうしようもない。

では、その人は幸せになれないのだろうか。

そんなことはないと思う。
悲しみを背負った人だって、美味しいものを食べれば美味しいと思うことがある。
綺麗な夕焼けに足を止めることもある。
誰かのくだらない冗談で、思わず笑ってしまうこともある。

その瞬間、
悲しみが消えたわけではない。
悲しい自分から、幸せな自分へと入れ替わったわけでもない。

悲しいまま、笑っている。

人間には、それができる。


悲しみと喜びは、交換するものではない

もしかすると私たちは、
「悲しみが減った分だけ、幸せになれる」
と考えすぎているのかもしれない。

悲しみをゼロにしなければ幸せになれない。
過去を克服しなければ前へ進めない。
納得できなければ人生を楽しんではいけない。

でも、本当にそうだろうか。

悲しみと喜びは、一本のメーターの両端にあるものではないのかもしれない。
深い悲しみを抱えながら、同時に誰かを愛することもできる。
納得できない過去を抱えながら、今日の出来事を楽しむこともできる。

人生には最後まで、
「あれだけは納得できない」
というものが残ったっていい。

納得できないものを抱えている人生と、幸せを感じる人生は矛盾しない。


ポジティブに生きるということ

そう考えると、「ポジティブに生きる」という言葉の意味も少し変わって見えてくる。

何でも前向きに考えることではない。
辛い出来事を「良い経験だった」と言い換えることでもない。

まして、悲しんでいる人に、
「もっと前向きに考えようよ」
と言うことでもない。

本当の意味でポジティブに生きるとは、
悲しみがあることを認めたうえで、それでも喜びを探すことなのかもしれない。

泥を泥だと認める。
手も服も泥だらけになる。
それでも泥の中に手を突っ込んで、
「何か一つくらい、持って帰れるものはないだろうか」
と探してみる。

そして運よく一粒の真珠を見つけたなら、
それを握って帰ればいい。
真珠を見つけたからといって、泥だらけになった過去を美化する必要はない。

「あんな場所、二度と行きたくない」
と言いながら、その真珠だけは大切に持っていてもいい。


悲しみを背負ったまま、真珠を拾う

ポリアンナという言葉から想像するのは、明るくキラキラした少女かもしれない。
けれど「よかった探し」を突き詰めて考えると、私にはまったく違う姿が見えてくる。

泥だらけになりながら、
それでも地面に手を伸ばしている人だ。
悲しみを捨てることができなくてもいい。

過去に納得できなくてもいい。
無理に「いい経験だった」と笑わなくてもいい。

悲しみを下ろしてから、真珠を探しに行くんじゃない。
悲しみを背負ったまま、それでも道端に落ちている真珠に気づく。

そして、その一粒を手のひらに乗せて、
また歩いていく。
もしかすると、
ポジティブに生きるとは、悲しみを忘れる強さではなく、悲しみと喜びを同時に抱えて歩ける強さなのかもしれない。

ポリアンナの真珠は、思っていたよりずっと泥臭い。
だからこそ、その小さな真珠は、
あんなにも美しく見えるのだと思う。


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