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私がシネマトグラファーを嫌いな理由

約6分

――君たちは「映像道」を歩いているか

最初に言っておきます。

これは独断と偏見です。
そして、かなりの暴論です。

世の中でシネマトグラファーを名乗っている方々の中には、素晴らしい知識と技術を持ち、映像に対して誠実に向き合っている人も大勢います。

それは分かっています。
分かってはいるのですが、それでも私は言いたい。

私は、なんちゃってシネマトグラファーが嫌いです。(笑)


なぜ「ビデオカメラマン」では駄目なのか

いつからでしょう。
普通に企業映像やイベント映像を撮っていた人が、突然プロフィール欄に
Cinematographer
と書くようになったのは。

もちろん、名乗るのは自由です。
「ビデオカメラマン」より格好いい。
「撮影スタッフ」より芸術家らしい。
「カメラマン」よりも、光と影を操っている感じがする。

分かります。

正直、響きはとても格好いい。

しかし、作品を見てみると、背景をぼかし、逆光を入れ、スローモーションにして、色を少し青やオレンジに寄せただけだったりする。

それを見て、私は長い間モヤモヤしていました。

別に映像が下手なわけではありません。
機材の使い方も知っている。
ピントも露出も合っている。

それなのに、なぜか「シネマトグラファー」と名乗られると腹が立つ。
最近になって、ようやくその理由が分かりました。

彼らは撮影術を身につけていても、映像の道を歩いていないように見えるからです。


映像は、ボケとカラーグレーディングだけではない

シネマトグラフィーとは、単に映画っぽい映像を撮る技術ではないはずです。

なぜ、その画角なのか。
なぜ、その人物を撮るのか。
なぜ、そこに光を置くのか。
なぜ、その時間を記録するのか。

映像を見る人に、何を感じてほしいのか。
映される人に対して、撮影者は誠実であるか。

そして、その映像は十年後、五十年後にどんな意味を持つのか。
本来、映像を撮るという行為の奥には、技術だけでは収まらない問いがいくつもあります。

光を知ろうとすれば、絵画や写真の歴史につながる。
レンズを知ろうとすれば、光学や科学につながる。
構図を知ろうとすれば、美術や建築につながる。
色を知ろうとすれば、人間の視覚や脳の働きにつながる。
映画を知ろうとすれば、演劇、文学、音楽、宗教、哲学へとつながっていく。
映像とは、本来それほど巨大な文化の上に立っているものです。

だから、浅い被写界深度で人物を撮っただけで、映像を極めたような顔をされると叫びたくなるのです。

絞りを開く前に、世界に目を開け!

……と。


「術」と「道」は違う

日本には、剣術と剣道があります。
柔術と柔道があります。
「術」は、目的を達成するための技術です。

一方の「道」は、その技術を通して自分自身や世界と向き合い、一生をかけて歩き続けるものです。

撮影にも、同じ違いがあるのではないでしょうか。
カメラを操作する。
露出を合わせる。
ジンバルを動かす。
カラーグレーディングをする。

これらは大切な撮影術です。

しかし、それだけで終わらず、
何を撮るべきか。
なぜ撮るのか。
映像とは何か。
記録とは何か。
美しさとは何か。
人間とは何か。

そんな問いを持ちながら学び続けることを、私は**「映像道」**と呼びたいのです。

映像道とは何か

映像道とは、格好いい肩書きではありません。
資格でも、流派でもありません。
撮影、編集、音響などの技術を入り口として、光、音、時間、歴史、科学、芸術、そして人間を学び続ける道です。

最新のカメラを持っている必要はありません。
映画を撮っている必要さえありません。
発表会の記録映像でも、企業セミナーでも、家族のホームビデオでもいい。

目の前にあるものをよく観察し、なぜ残すのかを考え、映される人と見る人に対して誠実であろうとする。

その人は、もう映像道を歩いています。

反対に、どれほど高価なシネマカメラを持ち、映画のような映像を作っていても、作品を自分を飾るアクセサリーとしてしか考えていないなら、まだ道の入り口にも立っていないのかもしれません。


肩書きを名乗るな、と言いたいわけではない

誤解しないでいただきたい。
私は「シネマトグラファーを名乗るには免許を取れ」と言いたいわけではありません。
誰が何を名乗ろうと自由です。

ただ、その言葉には歴史があります。
シネマトグラファーという言葉には積み重ねてきた文化があります。
先人たちが光や影、人間の表情と格闘してきた時間があります。

格好いいからという理由だけで名乗るには、少し重い言葉なのではないかと思うのです。
名前を背負うということは、その名前が持つ道を歩く覚悟を持つことでもあります。

だからシネマトグラファーを名乗るなら、カメラのスペックだけでなく、絵画を見てほしい。
映画史を知ってほしい。
音楽を聴いてほしい。
人間を観察してほしい。
自分の映像が、誰のために存在しているのかを考えてほしい。

そして、ときには自分の撮った格好いい映像を見ながら、
「これは本当に必要な表現だったのか。それとも、ただ私が格好つけたかっただけなのか」
と疑ってほしい。


私が嫌いなのは、シネマトグラファーではなかった

ここまで書いて、自分の中でも整理ができました。
私は、シネマトグラファーが嫌いなのではありません。

道を歩かずに、道を極めたような名前だけを身につける姿勢が嫌いだったのです。

これはきっと、シネマトグラファーに限った話ではありません。
クリエイター。
アーティスト。
ディレクター。
プロデューサー。
格好いい肩書きはいくらでもあります。

しかし肩書きは、自分を大きく見せるための衣装ではない。
本来は、その人がこれから歩いていく道を示す看板なのだと思います。

名乗ることが悪いのではありません。
むしろ堂々と名乗ればいい。

ただし、名乗ったその日から、その名前に追いつくために歩き続けてほしい。
そして私自身も、人の肩書きに文句を言うだけでなく、映像とは何かを考え、学び続けなければなりません。

映像道に免許も段位もありません。
誰もが道半ばです。
だからこそ、今日もカメラを持ち、編集画面に向かいながら問い続けるのです。

君は、ただ映像を作っているのか。
それとも、映像の道を歩いているのか。


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