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日本映画は「芸術」ではなく「見世物」から始まった? ― 映画誕生と日本上陸のお話【お役立ちコラム】

約8分

今では映画といえば、世界中で親しまれている文化・芸術のひとつです。
映画監督や俳優がレッドカーペットを歩き、映画祭では優れた作品が芸術として評価されます。

しかし、映画が誕生したばかりの時代はまったく違いました。
そもそも当時の人々にとって、
「写真が動く」
ということ自体が、とんでもない出来事だったのです。

今回は映画の原点まで時間を巻き戻してみましょう。

映画はいったいどのように誕生し、そして日本人は初めて「動く写真」を見たとき、それをどのように受け止めたのでしょうか。


「映画を発明した人」は誰?

「映画を発明したのは誰ですか?」
こう聞かれると、実は少し答えに困ります。

映画は、ある日突然ひとりの天才によって完成した発明品ではありません。

写真技術の発達、連続写真、フィルム、撮影装置、映写装置など、19世紀に登場したさまざまな技術が組み合わさりながら、現在の映画へと近づいていきました。

その中でも映画史を語るうえで欠かせないのが、
トーマス・エジソンの研究所と、フランスのリュミエール兄弟です。


エジソンが考えた「動く写真」

発明王として知られるトーマス・エジソン。

実はエジソン自身が映画装置のすべてを一人で開発したわけではなく、実際の研究開発では助手だったウィリアム・K・L・ディクソンが非常に重要な役割を果たしました。

エジソン研究所では、
キネトグラフ(Kinetograph)
という撮影装置と、
キネトスコープ(Kinetoscope)
という映像を見る装置が開発されます。

ところが、このキネトスコープは現在の映画館とはまったく違うものでした。


映画なのにスクリーンがない!?

キネトスコープは、大きな箱のような装置です。

その上部にある覗き穴から中を見ると、フィルムが高速で動き、写真が動いて見えるという仕組みでした。

つまり、
一台につき、一人で覗いて見る映像装置
だったのです。

1894年にはニューヨークに「キネトスコープ・パーラー」が登場します。

店内には複数のキネトスコープが並べられ、お金を払った客がそれぞれの箱を覗いて映像を楽しみました。
映っていたのは、ダンス、曲芸、ボクシング、著名人など。

現在のような2時間の映画を鑑賞するものではなく、
「おおっ! 写真の人間が動いている!」
という驚きそのものを楽しむ娯楽だったのです。


一方フランスでは「みんなで見る映画」が誕生

そして1895年。
フランスのオーギュスト・リュミエールとルイ・リュミエール、いわゆるリュミエール兄弟が「シネマトグラフ」を発展させます。

こちらの大きな特徴は、撮影した映像をスクリーンへ投影できること。
一人ずつ箱を覗く必要がありません。

暗い場所に人々が集まり、大きなスクリーンに映し出された動く映像を、みんなで見る。
現在の映画館につながる上映スタイルです。

1895年12月28日、パリのグラン・カフェで有料公開上映が行われました。
この日は「映画誕生の日」のひとつとしてよく紹介されています。


最初の映画は「物語」ではなかった

ここも現代から見ると面白いところです。
初期の映画は、必ずしもストーリーを楽しむものではありませんでした。

工場から人々が出てくる。
列車が駅に入ってくる。
街を人々が歩いている。

そんな日常風景です。
今ならスマートフォンで撮影してSNSへ投稿するような映像かもしれません。

しかし当時は、
「目の前にいない人や、別の場所の出来事が動いて見える」
こと自体が驚異的でした。

映像そのものがコンテンツというより、
「映像が動く」という技術そのものがコンテンツだった
ともいえるでしょう。


そして1896年、「映画」が日本へやってくる

そんな最新技術が、早くも日本へやってきます。
日本で最初に公開された映画装置として知られているのが、エジソン陣営のキネトスコープです。

1896(明治29)年11月、神戸の神港倶楽部で公開されました。
つまり、日本人が最初に体験した映画は、
スクリーンに映された映画ではありませんでした。
箱の中を覗いて見る映画だったのです。

今の私たちが「映画」と聞いて想像するものとは、かなり違います。
またこの覗いて見るという使い方から、祭りなどのイベントにあった「見世物小屋」(覗き部屋)みたいな感覚で使われることもありました。


その翌年には「スクリーンで見る映画」も日本上陸

ところが技術の進歩はものすごい速さでした。

翌1897(明治30)年になると、リュミエール兄弟のシネマトグラフや、エジソンの名前を冠したヴァイタスコープなど、映像をスクリーンへ投影する方式も日本で公開されます。

わずかな期間で日本人は、
「箱を覗いたら写真が動いている!」
という驚きから、
「壁に巨大な人間が映って動いている!」
という体験へ進んだわけです。


当時の日本人は映画を「芸術」とは見ていなかった

現在では映画は芸術・文化として扱われています。
しかし日本へ伝わったばかりの映画は、そんな立派な立場ではありません。

当時は「活動写真」などと呼ばれ、
海外からやってきた珍しい見世物
という性格が強いものでした。

その雰囲気がよく分かる面白い資料があります。
1897年に発行された、日本で映画を扱った最初期の書籍のひとつ『実地応用 近世新奇術』です。

この本では映画に関する技術が、
「催眠術」
「怪力新奇術」
などと一緒に紹介されています。

つまり当時の感覚では、
「これは新しい芸術表現だ!」
というより、
「西洋から、また何やら不思議なものがやってきたぞ!」

という扱いに近かったのでしょう。

現代で例えるなら、新しい映像技術の展示というより、最新VR機器や不思議なアトラクションを体験しに行く感覚に近かったのかもしれません。


でも日本人は「動く映像」に慣れていなかったわけではない

ここでひとつ面白いポイントがあります。
映画が来るまで、日本には映像文化が存在しなかったのでしょうか。

実はそんなことはありません!

江戸時代には「写し絵」と呼ばれる、日本独自の幻灯文化がありました。
ガラス板に描いた絵を光で投影し、それを動かしながら物語を見せます。

しかも単に絵を映すだけではありません。
三味線や太鼓、浄瑠璃などを組み合わせながら上演されていました。

つまり日本には映画が来る以前から、
「映像を映しながら、横で人間が物語を語る」
という文化が存在していたのです。

そして、この文化は後に日本映画史で非常に重要な存在となる、
「活動弁士」
にもつながっていきます。

外国から新しい映像装置が突然やってきたものの、それを見る日本人の側にも、すでに独自の「映像+語り」の文化があった。
ここが日本映画史の面白いところです。


「見世物」だった映画は、あっという間に大衆娯楽になる

最初は珍しい舶来の機械だった活動写真。
しかし日本人は、ただ外国の映像を眺めているだけでは終わりませんでした。

やがて日本国内でも撮影が始まり、日本人が登場する映画が作られるようになります。
さらに映画を専門に上映する施設も登場。

そして映画は、
珍しい機械 → 見世物 → 大衆娯楽
へと急速に変化していきます。

国立映画アーカイブも、日本に入ってきた活動写真が次第に「珍奇な見世物」の段階を脱し、日本製作品や専門館の普及によって大衆娯楽の中心になっていったと説明しています。

その変化に、何十年もかかったわけではありません。
映画が日本へやってきたのは1896年。

それから十数年後の1912年には、複数の映画会社が統合され「日本活動写真株式会社」、現在の日活が誕生します。

単なる「珍しい箱」だったものが、わずかな期間で巨大な産業になってしまったのです。


映画の歴史を知ると、現在の映像も違って見える

今では私たちは、スマートフォンを取り出せば簡単に動画を撮影できます。
YouTubeを開けば、世界中で撮影された映像を見ることができます。
映画館へ行けば巨大なスクリーンに4K映像が映り、家庭でも大画面テレビで映像作品を楽しめます。

しかし、その原点をたどっていくと、
「写真が動いた!」
という、ただそれだけの驚きから始まっています。

しかも日本では、最初にやってきた映画はスクリーンですらありません。
小さな穴から箱の中を覗いて見るものでした。
そして当初は芸術作品というより、催眠術や奇術と同じような「不思議な見世物」として受け取られていました。

それがやがて、

見世物から娯楽へ。
娯楽から産業へ。
そして産業から文化・芸術へ。

わずか百数十年の間に、映画の立場は大きく変わりました。

そして、ここから日本はさらに独自の映画文化を作り始めます。
映画なのに、横で物語を語る人がいる。
俳優は歌舞伎の世界からやってくる。
女性の役を男性が演じる。
カメラは舞台を見るように据えられる――。

外国から輸入された「動く写真」は、日本の文化と混ざり合いながら、少しずつ「日本映画」へと姿を変えていくことになります。

いつかまた日本映画の続きとして、日本映画の黎明期と、歌舞伎をはじめとする日本の演劇文化が映画に与えた影響についてなど、そんな話ができたらいいなと思っています。


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